いずものブログ

自分の考えを残したいです

働く意味

 学校を卒業し、仕事に従事し、もうだいぶんたったのだけど、良いこともあれば悪いこともあった。複雑系の人間関係に悩まされたり、期待どおりにならなかったりして生活に嫌気がさし、これからも同じようなことが続くと思うと、楽になれないかなと愚痴を言ったりする。

 自分の人生を自分で制御できないもどかしさに、苦痛や絶望を感じる。だから、被害者意識が高く、悩みの根源の親、家庭、仕事、自分を廃除したくなったり、繋がりを断ち切りたくなったりして、負の螺旋で自分の首を一思いにしてしまいたくなる感情が消えない。

 私の仕事に対する印象は悪く灰色にくすんでいる。一方でメディアの中の仕事や活動は輝いて見える。体現する自分の仕事よりも、触れたことのない領域で活躍する人の活躍を見て、そこに試金石を見出だしたように思えるのだ。水面が眩しくも美しく光る清流にみとれているような状況だ。桃が流れてくるような、何か素晴らしい出来事に恵まれる機会が訪れる前触れかもしれないが、無防備に川に入り早い流れに流されて溺れてしまうかもしれない。生死が表裏の関係にあるように幸せも簡単には得られない。だから、悩みは消えないので耐えるしかないという論理で、みんな考えているだろうか。そんなに自分の考えは常識的で自然だろうか。

 当たり前だけど、誰もが悩まず生きている訳もなく、1つや2つ重なる悩みはあるだろう。何が違うのだろうか。

 例えば、情報や状況の受け止め方によるのだと思う。つまり、物事を自分で考えて判断できている。自分の人生に責任を持ち、前に進んでいるのだ。自立している。周りに振り回されていると思うのは、自立できていないからだろう。自立とは経済的で精神的に安定な状況で、今の自分の状況とは程遠い。全てを円くできないか気が気でないからだ。

 仕事をきっかけに生きる市民権を得て、孤独と負の自己感情に耐え、仕事から成長を感じ、仕事のやりがいを見いだすことで自立できる。個人それぞれ感情も特性も違うのだから制御することはできない。その中でも自分を振り返り励まし素直に受け止めることができれば、仕事を生き甲斐の1つとして理解できるのだろう。

 人と自分を助けるという信念を信じ貫くこと。それを仕事を介して実現できることが、仕事の喜びであり、貢献の真理の1つと思う。

 この本から働くという行動の真理と著者の[生きろ]、[できる]と熱い言葉を感じた。

 

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

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