いずものブログ

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お盆の目的って

 朝夕が涼しくなってきたとはいえ、日中は30度を越す真夏日。そんな暑い中、日本民族の大移動が始まる。今日は8/12だから、明日からお盆。前日入りで田舎に帰っている人もたくさんいると思う。どれくらいの人が帰省したいと思っているんだろう。連休として活用した方が、ずっと効率的だと思うんだけど。

 お盆の目的は、第二次世界対戦で亡くなった戦没者を鎮魂することと理解している。僕も田舎だったので、8/13から8/15は仏壇に先祖様が帰ってくるということで、家から出れなかった。お盆とは先祖を敬うことだった。まだ、子供だったので。信じ従うしかなかったので。

 お盆が今の民族大移動になってしまった経緯はさっぱり分からないけど、都会が楽しくて帰省したがらない娘、息子への切り札として、親から慣行されたものだと思う。信仰は科学的説明がつかないが、親の願いとなれば情も重なり、仕方なくでも帰省したのかもしれない。また、どのように通信技術が発達し移動が非効率であっても、生身の人との思い出が大切な人もたくさんいると思う。

 日本は日中戦争を発端に東アジアの占領を続ける。明治維新を機会に近代化を進めた日本は近代化に遅れた中国、韓国に対し、かつてイギリス、アメリカから受けた危機の反省を忘れ侵略する。また、白人に占拠されていた東南アジア諸国も手中に治めべく、表向きはアジアのヒーローとして、真意は日本王国の拡大として戦争を続けていた。10年余りも。そして、原子爆弾が落ち、日本は戦争に負けた。国のために死ぬことが使命とされていた戦争から一転、国から平和を推進されたのだ。

 おそらく終戦直後は親族や知り合いに戦争で亡くなった人が数多く、終戦の日のお盆の意味合いは今と大きく異なっていたのだろう。それは、先祖に感謝するというイベントではなく、戦争の反省と無念、亡くなった戦没者への愛情を伝える場であったに違いない。だから、お盆が大切なことも理解できる。

 お盆の帰省に抵抗感があるのは、単に経済的非効率性なことだけではなく、帰省者の心身的な負荷が最高位に達するからだ。結局見返りが少ない。全くない場合もある。この期待する見返りと亡くなった人への思いのバランスが取れない時、割りに合わなくなる。両親や故郷との関係が希薄で自分のことで精一杯だとなおのことだ。

 僕はなぜお盆に帰省するのか。それは、仲間外れになると後生で負担が増加することが考えられるからだ。仲が悪くて良いことは少ない。見せ掛けの忠誠とも言える。帰省しても感謝されることもないし、語り合うこともない。寂しいし、つまらない。しかし、親を大切にしたかが問われる。本当につまらない。

 お盆というある意味神聖な儀式と言えるものが、両親が唯一ものを申せる機会として湾曲されている。核家族化で両親が娘、息子を助ける機会が減り、両親と話す機会が減っている。

 本当に話したいなら、いつでも話せばいい。思いを伝えればいい。伝わらないなら手段を学習すればいい。双方が合理性を重視し、理論的に最適解を求めれるように進めばいい。

 お盆がどんどん嫌いになる。本来は好き嫌いでない。愛から来る労りの儀式なのだから。