いずものブログ

自分の考えを残したいです

ある飲み会から気付いたこと

中国からの来訪者参加の飲み会

会社に関わる中国からの来訪者と夕御飯を食べる機会があったのだけれど、そこから学べることがたくさんあった。本当に中国は聞いた限りだと夢のような国だと思った。

 

現金が必要ない

これは、ちきりんさんの書籍やブログにもある通り、何でも中国ではスマホで払う。路上ライブや、物ごいまでもがQRコードを持っていると書いてはあったが、都会でも超田舎でもアリペイでOK。中国人は便利が好きと言われてたけど、日本人にない感性なんだと思う。日本人だけ特殊なんだろうな。。さっさと現金なんてなくせばいいのに。

 

近隣の大国に無関心な日本人

接待という形だから、中国を誉めて誉めまくるのだけど、僕も含めて本当に中国のことを知らないようで、いかに情報に疎いか露呈した飲み会だった。これは、日本のメディアの情報操作というか見せ方、教育の偏りにより思考が偏っているためなんだと思う。旅行に行く可能性の少ない旅行先の情報は最小限に抑えるように、潜在的反中感情、反世界感情が抑止力となり、情報を取りに行こうとしていないんじやないかなと思った。とはいえ、周りに旅行好きがいないだけなのかもしれないのだけど。

 

老害

飲み会は、40代のマネージャークラスの人が多かったのだけれど、日本の情報を提供することがなかった。初対面だからというのはあるけれど、なんにもなかった。感性が死んでいる。感受性が特定の範囲、例えば仕事や家庭に集中し、興味の範囲が狭い。コミュニティが半径5mくらいに収まっているんじゃないんだろうか。それを効率かいいと言えるかもしれないけれど、人生はつまらない。僕はつまらない。話題がないのだ。つまらん話題しか。偏った情報が悪い訳ではないけど、障壁が高い。知らないの話をされても自分の興味が狭いから共通点を探りにくい。これは、例えば新人や同僚の感性や思考と共同する際の偏りや拡大解釈につながると思う。相手を自分の型にはめてしまう。個性をつぶす。知らないうちに抑圧するのだと思う。思考の型こそ老害そのもの。

 

まとめ

情報も世界を広げるけれど、体感して思考することが思考に複雑性を持たせて曖昧性を解消する。ないげない日常にも思考のヒントはあると改めて思った。