いずものブログ

自分の考えを残したいです

置き去りにされた自転車

通勤路にあった自転車

自転車通勤の僕。夜9時に会社を出て、ボーっとしながらVoiceyを聴いて元気をもらいながら自転車で家路を走っていた際に、ポツンと自転車を見つけた。幅の狭い自転車専用道路のトンネル内。トンネルといっても長さは10mもない。幅は1mくらい。そのトンネルの入り口に明らかに学生の自転車が置き去りにされていた。

 

何事?

誰もいない。周りには何もない。自転車専用道路は街外れにあり真っ暗だ。このトンネルの入り口だけは明るい街灯があって自転車が目立つ。とは言え、周りに人気はない。自転車には中学校のシールがある。シールの中学校は、ここから10kmはある。自転車だと一時間くらいだろうか。周りに何もないのだから、自転車盗難した人が乗り捨てたとしても、ここから街まで歩いて一時間くらい掛かる。ただ、このトンネルの上にはJR電車が走っていて、柵がない。まさか、中学生が死に場所を探しているのか。。。

 

捜索

自分の自転車からライトを外し、当たりを見回す。JRの線路は土手になっていて自転車専用道路から6mの高さにある。ライトを照らしてもよく分からない。土手には草が生い茂り足跡など見えない。闇夜と困惑で何をしていいか整理できない。自分1人。自分の行動1つで人命を助けることができるかもしれない。線路に上がるべきか。自分も電車に引かれてしまうかもしれない。偽善と正義が心の中で闘う。どうすればいいんだ。そうこうしている数分のうちに、電車が通過してしまった。。。無音の中、ゴーっという通過音が響いた。叫び声は聴こえない。よかった勘違いか。でも、もしかしたら、もう死んでしまっているのかも。。警察に電話した。

 

まとめ

警察には盗難自転車が置き去りにされているということを連絡し、すぐに現場に向かっていただいた。事件性は僕の妄想の中で事件性のないものであって欲しい。

今朝、現場に行ってみると自転車はなくなっていた。警察のかたが持っていってくれたのだろう。本当に何もないといいのだけれど。

 

僕は「中学生」「線路」「闇夜」というキーワードで困惑し行動を起こした。心の中では「偽善」と「正義」が分裂したようだけれど、つながりが見えなかった。この偽善と正義はどちらも理性だけれど、本能的な「無関心」に誘引されて家に帰りそうにもなった。トンネルから家まで数百m。家には家族がいる。相談もできたかもしれない。でも、自分で決めなかったことを後悔していただろう。何より自分の信念を行動できたのは、発見だった。また、妄想としても有事に遭遇した時の自分の行動を振り返ることができた。備えがない自分。自分の偏った思考と現実の整合性のずれに言い訳をして逃げようとする自分いた。

 

ちょっと前に自分の自転車が盗難にあって警察のかたに見つけていただいたのも、自転車を見過ごせない理由でもあった。経験を通じて優しくなり、感性が高くなった。今回の経験も自分の中の優しさに気付けたが、不足も発見できた。それは、信念のぶれにつながる知識だ。冷静の度合いは知識の深さに比例すると思う。知識量ではなくプロダクトミックスされた脳にクリティカルパスを形成する自念的誘導のようなもの、知識は材料でしかないので少ない材料で正しいか分からないけどベターな答えをすぐに出せる能力、それが不足している。経験こそ習得のはや道だけれど、材料が多いに越したことはない。読書や経験を通じて自分を成長させて、どんなときも信念を貫ける人でありたい。