家族の信頼関係
『奥さん、風邪で倒れる』
こんな題名の内容を書くと、男目線となりがちで、奥さんの代わりにいろいろできたから、「僕はすごい」「やる時はやる」と纏めたり、「奥さんがいないとダメだ」「日頃から助け合います」と宣言文になってしまう。主観が僕なので偏った世界になる。だから、まずは僕の曲がった考え方を整理したい。
『二面性』
僕の考えは古い。かなり古い。現代に合ってない考え方だと思う。自分の考えを全て押し付けている訳ではないけれど、心の奥で納得できてない僕がざわついている時がよくある。
父親は稼ぎ、母親は家庭を守る。互いに8時間は仕事をこなす。自分の時間は家事や家庭の世話が終わった後の余裕時間とし、基本的には家族に捧げるもの。
嫁ぐとは旦那の実家の物となること。子供は自分を捨てでも親のめんどうを診ること。
何がこんな思考を形成させたかと言えば、自分の意思で自分の人生を決断できてなかったからだと思う。流されて今に合わない思考でも常識とし、弾かれるのが怖いから目を気にして受け入れ洗脳されたり、反証できる代案が乏しいので受け入れたのだろうと思う。
自分が弱かったのが原因で、今も思考が停止している。
『たった3日の家事をして』
結局3日しか家事をしてないのだから、自然体でこなせばいいはずなのに、納得して実行できなかった。割りに合わない。目に見えた効果がない。時間の浪費。自分の仕事じゃない。否定的な言葉が続く。
たった3日で言葉が淀むので、入院や介護などのもっと負荷が掛かるものは受け入れられないと思った。
ただこの言葉群は整理した思考の延長の端に他ならない。
つまり、思考を変えれば、言葉や思いも変わり、行動が変わるはず。
『このままだと』
このままだと、人を愛せない。全てを効率性、生産性の物差しで見るし、自分のわがままを言うので、愛されることはないと思う。
表面的な愛情は家族は傷つけるので、関係はギスギスしていて続かない。思った通りにいかない現実に怒り、行動もおかしくなるので、信頼関係は築けないと思う。
また、本人は愛すことも愛されることもないので、孤立するはず。孤独を楽しめる人は稀と思うし、今の僕には無い感情なので、孤独で自暴自棄になると思う。
だから、今の思考を続けても良いことはないと思う。
『考え方が変われば』
考え方が変われば、奥さんや子供を大切に思えるし、与えたいと思える。人を好きになり、優しくなれると思うし、表面的に繕った笑顔ではなく、内から溢れる愛情で助け合う。
つまらないことで怒らず、互いを認める家族であれば、気持ちよく不安も少ない人生を過ごせると思う。
考え方が変われば、家族も本人も信頼し生きていけると思う。
『思考を変えるには』
良いと思うことをすれば、駄目な考えに侵されることはない。駄目な考え方を持つ人から離れる。忘れること、信念を持って良い行動を続けること。
論理的に展開できない事柄や規律は弱さを補填するための言い訳だと思う。
例えば「子供は親の言うことを聞くべき」「奥さんは旦那を敬うべき」は稚拙なもの。それを否定し、優しさの中から信頼関係を構築できる。
『奥さんの看病を振り返って』
利害関係などなく、本来は不満もないはず。愛しているならば。変に自分の枠に相手も納めようとしているので、与える愛(もの)と求める愛(もの)の温度差(深度の違い)を感じ、どこかで苦しくなった。
真理から少しばらつきのあるそれぞれの個性を認め、強制するのではなくばらつきの中で生きれるように、ストレスの少ない関係を作り続けたいと思う。
悩んだり悔やんだり、行き急ぐつもりはないのに頼るのは周り。立ち止まると自分がない。環境のせいにする自分。
— いずも (@OkqiDFkb8SPiQbv) 2018年5月27日
陰影のむらに目が向き焦る。未来永劫いまが続くと不安になる。掛け違いを悔やむ。
未来は変えれる。
過去は変わらない。
当たり前の真実を信じよう。
自分に期待し自分を信じよう。