いずものブログ

自分の考えを残したいです

自分を愛したい

『喜べない自分』

 新卒で入社し20年経った時、自分を誉めたり、労ったり、悔やんだり。いろんな人がいるから正解はないけど、僕は悔やんだ。自分に、腑に落ちない怒りをぶつけた。

 

 なぜ?

 

 僕は自分を擁護するあまり自分を愛せないのだ。

 

 『楽しくない仕事』

 仕事の中で幾度と壁に当たり、落とし穴に落ちた。蟻地獄とも思えたし、砂漠で孤立した体験もした。でも、全ては僕の頭の中の虚像で、空っぽのはずなのに、ぬるま湯のように悪夢は芯に絡み付く。忘れたいのに忘れられない。周りの目線や評価が気になり、緊張し、行動ができなくなる。信頼できず、信用もされることもないと自分を責める。そうしている内に、僕は生き甲斐や仕事のやりがいの箱を開けては閉じを繰り返して、中身の隅を舐め回す。もっと美味しいものがないかって。何かが違う。こんなはずじゃなかったって、自分の存在を否定するのも繰り返す。

 それでは、この感情は異常なのか。この掴み所のない主観的な感情は何から来るのだろうか。吸い込む空気が喉で熱くなり、目の奥が痛む。生き苦しい。この数十年は無駄で何も成果もない。なんだったんだろう。なんのために生きているんだろう。そんな感情が浮かんでは弾ける。何でこんなに楽しくないんだろう。

 

『サラリーマンの本文』

  自責の念を繰り返し、職場と自分が重ならず、自分に社会不適合の烙印を課してしまう。サラリーマンは、社長の資本を公的規範の中で奪いとることが、仕事の動機のはずだ。この奪いとる行為を意識せず、仕事を自己実現レバレッジと無理に自分の目的をすり替えてきたけれど、これが仕事でやりがいを感じれない理由だと、最近噛み締めることが多い。この違和感が仕事のつまらなさを助長している。

 

『許容できない葛藤』

 さて、どうしよう。僕は立ち位置を間違えてしまった。会社に選ばれようと従順なり、言いたいことも言わず、残業して貴重な人生を消耗してきた。

 僕は自分に、20年を振り替えって、20年も頑張った。嫌なことも耐えてきた。でもこんなはずじゃなかった。頑張ったけど間違っていた。なんで僕は駄目なんだ。駄目だからこれからも駄目なんだ。なんでこんなに駄目なんだろう、と怒りで涙した。

 

『人生を定め直す』

 サラリーマンならば、このまま、攻撃的に奪い取る人生を選択し続けなくてはいけない。70歳定年の時代、こんな消耗戦を、後30年も続けなくてはいけない。僕には、この20年をまた繰り返すなんて、とても耐えられない。消耗し搾取され、金銭の価値も感じれない人生なんて死んでるのと同じだ。

 でも、僕は何も持っていない。仕事でしか個人を出す場がないのだ。だから、弱味に漬け込まれていると思う。僕には活躍の場が他に必要なのだ。

 この節目をきっかけに奪い取るのではなく与えることに捧げたい。寄付、ボランティア、今でもできることはある。固まってしまった考えを溶かし、自分が好きだと言える人生を歩んで行きたい。

 

 

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