いずものブログ

自分の考えを残したいです

前向きに生きるには

見たくない現実

10月といえば、社内人事異動の告知。昇進した人の発表会だ。相変わらず悲しいことに後輩がどんどん昇進している。それを見る度に憂鬱になり、自分の仕事や生き方を自分に問いかける。でも、いつも同じで、ふさぎこんで終わり。妬んで恨んで、妬んで恨んで…、悲観して。この話題も疲れて疲れて嫌だ。妬んでも、恨んでも、相手や周りは変わることないのに、その希望?にすがるしかない自分が嫌いだ。では、どうすれば楽になれるのだろう?

 

現実と僕

値札のない自分には価値がなく、生きる価値さえも自分で意識することができない。会社の面談では、何も進んでいない現実を振り返り前向きな言葉がでない。準備で終わった仕事は準備前と何ら変わってないのだから、成果は出ていないから無駄だってことになる。浪費した時間が無駄だからだ。当然意見も合わない。周りの連中の思惑にはまりたくない。自分が納得した人生は実現できるのか?と憤りを感じる一方で値札のない自分は生きていけるのかと不満が積もる。

 

そんな不満を解消するために本やラジオを見たり聞いたりする。確かに肉声を知るのは分かった気持ちになれる。楽になった気がする。解決できたような幻想にかられる。現実は変わってない。現実は変わらない。現実を変えることはできないのが、本当のところではないだろうか。周りが僕を置いてきぼりにして、どんどん進んでいるこの現実に憤りも感じながらも、虚無感を感じる。どうしようもないんだなって。途方にくれる。どうしたかったんだろうって。

 

変えられるのは自分だけ

誰にどうこう言われようと、現実が反転しても、その状況に流されても抗えても、自分でしかない。受けとるのも、感じるのも自分。自分の人生でしかない。でもと思うのは、自分の行動を何に照合しているかだ。信念、理念ならよいけれど、怠け癖からくる邪念もある。信念とはなんだろう。それを形成するほど考え尽くしていないから、僕は変わってないと思う。